2018年12月31日月曜日

人間出来ていなくても 強い人を人は求める パート3


前回は 人間が出来ていなくても
強い人についていく人は意外にいる という お話をしました。


そして あなた(自分)は何をしたいのか?



また したいことを ためらって出来ないのはなんで?なの??






・・・・・











人間が出来ている ≒ 教養、一般常識があり 社会的に認められている

という ?(謎)の前提をタイトルに盛っていますが




今の社会に置いて 



出来ている人間として 振る舞うためには




強さが邪魔になります。





強く出るとはみ出してしまうから。。。






ちょっとでも そこから外れると 様々なルールを持ち出して規制 取り締まられるリスクがあるので




人に優しく、親切丁寧という 大人しい姿勢は、




とても 無難です。







人から責められ 咎められ 突き落とされないようにするために






皆 そこから





この安全なラインの外に出ないように、外れないようにしているので




強く出られる人が 稀少です。





はみ出さないように 空気を読んで 振る舞うことが





かなり 当たり前なのです。






・・・・・・・・・・







当たり前のことは 当たり前にしないといけない・・・・ のでしょうか?





だから 





人に優しく





と言っても





当たり前すぎて、誰も気が付かず目立ちません。








それに対して強い姿勢は、目に留まりやすく見えやすいですし、









なおかつ









強さを武器に誰にも媚びずに生きているので、その姿勢やスタイルに憧れを抱くのです。






みんなと同じ?
それよりも出来ていない?





自分も強くあれば、誰にも遠慮せずに好きなこと発言し 思い通りに事が運べる。... 自分もその力を得たい、本当はそうなりたい そうありたいと・・・








親切丁寧にすることは、良いことであり、そうすべき 



というような道徳論が、
世の中にあるのは、社会がそのような人が多い方が協調され
うまく回るから、そう設定されているだけとも言えます。








でも人に対して常に優しさ第一で親切丁寧にしていると







実は力強くあることが出来ないという矛盾があるのです。








今の世の中は、強いと目立ち叩かれるので






みんな 大人しくしています。






世の人は強さ(リーダー)を追い求めているのに、




真実は強い人が少ない(目立たない)のです。


なりをひそめざるを得ない


優しさを大切にする現代社会においては特に・・・



だからこそ、




時に残酷と言えるような思い切った強さ(厳しさ)を示すことが



必要 ということなんです。





ただ某信仰宗教の首謀者のような強烈なカリスマ性を示し、その人が本当に望むこととは全く別のあらぬ方向に人を惑わすのは、いささか考えものですが、




どんな人にも尊敬されて慕われ歴史に名を刻むような人は、





単に優しいだけではなく揺るぎない強さを兼ね備えています。




自分の周りに、そんなリーダーが少ないのなら、誰かが名乗りをあげる必要があるとも言えます。





もしも、自分に強さを示す必要性が求められたら、時に大胆に怖がらず恐れずに自らリーダーシップを発揮することをオススメします。





なぜならそれが結果的に その人にとって真の意味で優しいから




本当に優しくなりたいのであれば




許可しても良いのでは?





そしてそれは、あなたがリーダーになるタイミングが訪れているからです。





本当の意味での 優しさが必要なのです。






明日から 新しい年です。






優しさという力強さを発揮し、希望ある良い年、素敵な時代に





自分でしていきましょう。



今年も一年 本当にありがとうございました!! 
LOVE & GRATITUDE
根津

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