気がつけば今年も明け、すぐに母親の1周忌を終え2月も半ば
あと1週間で母親の誕生日(2/20)が来る
生きていたら60代最後の69歳の誕生日
思えば
母子家庭の母親を助けることを自分の人生の中心にそえ、人生を生きて来ました。
小さい頃から たすけを求められていた。。
私の生きる上での最も大切にしている価値観が3つある
その価値観のその1つが
「 た(介)すける 」
(大介という名をつけられた通りなのですが)
そして責任感を持ち、人生に臨んで来た。
私の価値観の一番上位に 据えられている 「たすける」という価値観を
表現するために 私は母の元に生まれて来た。とも言える。
たすけると いう価値観は今
誰に どこで どう 発揮するのか・・・?
・・・・・
「人をたすける」ため 忘れてはいけないこと
それは、自分を「たすける人」の中に入れるということが死ぬほど重要である。
これをスムーズに実行するための鍵があります。
その鍵は
「 楽しむ 」
最近、周囲からもたらされ、繋がったインスピレーションだ。
なぜなら 「 楽しむ 」を実行するためには
心に余裕がないとできないから・・・
全力で力を入れていてはどうしても体が硬くなる。
体が硬直し、緊張した状態では、効果的に最大のパフォーマンスは発揮できない
もっと柔軟に
リラックス
全力を出すときほど リラックス
無駄な力は 体を硬くし動きを悪くする
それができないと、パフォーマンスをうまく発揮できない
当然 結果は・・・・
力を抜くことが、上手くできると
余裕ができる 余裕 ゆとり 遊び 緩みがあることが
余裕ができる 余裕 ゆとり 遊び 緩みがあることが
パフォーマンスを発揮することにつながる
自分のもつパフォーマンスを100%発揮しきれば結果も出る確率は上がるでしょう
仮に成果が出なかったとしても、良いのです。
辛さでなく 楽しさや ワクワク感 面白さ
つまり 快
が 湧き上がるのですから
それこそが本当に自分の人生を 生きることになる
過剰なプレッシャーはいらない
ただ ただ 楽しむことができれば、力は勝手に抜ける。
力が抜けないと自分では気がつかないうちに、責任感で身を固めて行きすぎ、自分を追い込んでしまうことも同時に起こってしまいがち
責任感というものの結晶化には メリットをもたらすが
それと同量のデメリットもある
それが時に 自分に辛いことを強いてきた
まさに必死に必死(必ず死ぬで必死)
責任感至上主義のために人生を生きては、自分を殺すことになってしまう
目的がずれてしまっている。。
自分を殺していたことに全く気がつけない、見えていないと
それは 私の価値観の 「たすける」と真逆の実行を 無意識に自分自身にしてしまう。
自分が苦しい状態では 人をたすける 余裕を失う
これでは 私の価値観の実行を阻んでしまう
違和感を感じるのも当然だ
「 では あなたはもう人をたすけるのはやめて生きますか? 」
と問われたら
「 いやいや やはり自分は人をたすけたい 」
と返すでしょう
と返すでしょう
そのために 人生を生きるのが 私なのだから
これは 単に
私のアルゴリズムに責任感という思い込みの認識のプログラムエラーが生じているだけです。
これでは、セキュリティーホールからウイルスが侵入しバグが生じます。
その結果、自分の人生を楽しむために受け取れるものが
受け取れそうになりそうな時に手から離れるのです。
ただ待ってななくても 違う努力を重ねるよりも
認識のプログラムエラーを解放し、修正更新プログラムをインストールすれば、
今すぐ 受け取れる
今すぐ 正しい実行がなされる
誰もそれを咎めはしない
だから 怖がらずに楽しむ
ただ待ってななくても 違う努力を重ねるよりも
認識のプログラムエラーを解放し、修正更新プログラムをインストールすれば、
今すぐ 受け取れる
今すぐ 正しい実行がなされる
誰もそれを咎めはしない
だから 怖がらずに楽しむ