2019年2月19日火曜日

根拠のない確信の証明

高校入試自己採点では、絶妙なボーダーライン…
その志望校に無事に合格しました。








本命の高校の人学試験の合否発表を家内と娘と見に行くために車を走らす道中


すでに滑り止めは受かっている娘に




ひとまず高校生になったらどうなりたいのかを聞いてみる。








その話の中で突然







娘が合格するビジョンがくっきり見え、娘の合格発表を見る前に確信にいたりました。




その瞬間、私の目から涙が滲み出しました。





そして、たくさんのイメージが次々と湧き上がります。







私の心の声 「 あ〜 そうか そーゆーことか.... 」







いつの間にかに 滲んだ涙が目からこぼれ、頬を伝わっていました。






その涙を拭い、心を落ち着かせて運転を続けた





次の瞬間






車のハンドルのすぐ横に備えつけ、GoogleMapを見ているiPhoneにある表示が











『 英検 合格した 』










高一の長女からの
L
INEです。








なんども受けていたけど 落ち続けていた 
英検の一次試験の合格の連絡です。








私  「 おい ともえが英検合格したってよ 」







家内  「 えー ホント? 」







私  「  今 LINEが来た。。 」








次女 「 …。」








私  「  ...。 」







家内「  でも、本当に合格したんだー 」







次女の心の声「 あー合格先取り された…  これでもし自分が落ちてたら…汗」








家内「 今回も英検の一次、出来がすこぶる悪くて、絶対落ちるって言ってたのに 」







私  「  確かになぁ… 」






次女  「  …。」






家内「  それに、もう二次試験のある日 渋谷に出掛ける予定入れちゃってたのに…」








次女  「  …。」








私「  まあそうだけど、なんとかなるでしょ 」






次女  「  …。」






そして私は 確信がさらに高まりました。

根拠のない確信が・・・




私の五感で感じる感覚に

(あーやっぱり合格する流れが来てるわ〜 )ってはっきり感じます。










次女  「 ……。」









私  「 あのさ ちなみ 」










次女  「  何? 」










私  「 ともえ 英検合格したじゃん  」









次女  「 …うん 」










私  「 コレって 今根津家に 良い流れ来てるってことだぞー   」











次女  「 ....そうかな? 」










私  「  そうだよ  大丈夫だよ 」










次女  「 そう? 」









家内  「  そうそう 」










私  「  これは良い事起こるよ きっと 」








次女  「  うん  」













2019年2月1日金曜日

去りゆく平成という時代


よく娘達とのコミュニケーションしている時に



絵馬に合格祈願


  
私が意見したり、私が何かやっていると



おとーさんは 昭和だから~ 」 とか 

それって 昭和っぽい 」 などと 



ちょいちょい、平成生まれの娘達におちょくられて言われます。


しかし、昨年(平成30年)は 天皇陛下のご退位で平成最後の年
もう平成も終わる。という触れ込がメディアから目や耳にしたもので




今度は娘達に 




お前も 平成だから〜 」とか

「 それ 平成っぽいな 」などと 



リベンジしてやるからな〜 






なんてふざけて言っていました。



しかし ある気づき発見があったのです。・・・



昨年の夏も終わり日も短くなり 年の瀬を意識し始めた11月はじめ頃・・・






 あぁ いよいと平成も終わるんだなぁ~  




 あらためて考えると 




 今年は平成30年  来年は 元号変わるまで 平成31年...




 30年? 31年? 




 平成って、30年もあったんだぁ〜 30年って意外に長かったなぁ.... 




 30...ん?? 待てよ  (私は昭和47年生まれの46歳 46年間の人生です)




俺って 人生のほぼ2/3(3分の2)は平成を生きて来てるんじゃん  昭和より長いんじゃん! 




16歳の学生の時に平成になって 大人としての人生は全て平成という時代で生きて成長して来たんだ〜 









そう気づいた瞬間に
今まで 無意識に





「平成は自分の時代ではない、若者の時代なんだ、自分は昭和生まれなので 平成には縁もゆかりもない」 
(平成生まれの若者が 次々に大人という年齢になり社会に出てくるにつれ)




というような 勝手な解釈がどこかであり 深めていって







自分は平成という時代の人間ではないんだ...







そんな思い込みから なんとなく疎外感、仲間外れ的に思考していた。







その思い込みが消滅し、






平成に対して、溢れ出る 感謝と心からの愛が溢れて来ました。






そう感じたら 





そんなしょーもないリベンジしようなんて アホや」と 




娘たちにおふざけでもする気が完全に失せました。




(えぇ...



だって、平成は私が大人としてここまで育って来た私の大切な時代だからです。   







そして平成という時代に、そしてこの時代の象徴として、私も含めた国民の安定と幸せを祈りお努めされた今生天皇である天皇陛下に愛と感謝を伝えなければと思ったのです。







陛下にこちらから出向く機会は、皇室行事である天皇誕生日12/23と新年1/2の一般参賀です。23日はすでに営業予定で予約も入っています。 





毎年一般参賀に行こうとしていたのですが、家内の実家への帰省などでいつも見送っていた一般参賀に必ず行くと決心しました。     




つづく
安楽死が合法化された現代日本のパラレルワールドを舞台に、平成という時代と、いまを生きることの意味を問い直す、社会学者・古市憲寿意欲作!

2018年12月31日月曜日

人間出来ていなくても 強い人を人は求める パート3


前回は 人間が出来ていなくても
強い人についていく人は意外にいる という お話をしました。


そして あなた(自分)は何をしたいのか?



また したいことを ためらって出来ないのはなんで?なの??






・・・・・











人間が出来ている ≒ 教養、一般常識があり 社会的に認められている

という ?(謎)の前提をタイトルに盛っていますが




今の社会に置いて 



出来ている人間として 振る舞うためには




強さが邪魔になります。





強く出るとはみ出してしまうから。。。






ちょっとでも そこから外れると 様々なルールを持ち出して規制 取り締まられるリスクがあるので




人に優しく、親切丁寧という 大人しい姿勢は、




とても 無難です。







人から責められ 咎められ 突き落とされないようにするために






皆 そこから





この安全なラインの外に出ないように、外れないようにしているので




強く出られる人が 稀少です。





はみ出さないように 空気を読んで 振る舞うことが





かなり 当たり前なのです。






・・・・・・・・・・







当たり前のことは 当たり前にしないといけない・・・・ のでしょうか?





だから 





人に優しく





と言っても





当たり前すぎて、誰も気が付かず目立ちません。








それに対して強い姿勢は、目に留まりやすく見えやすいですし、









なおかつ









強さを武器に誰にも媚びずに生きているので、その姿勢やスタイルに憧れを抱くのです。






みんなと同じ?
それよりも出来ていない?





自分も強くあれば、誰にも遠慮せずに好きなこと発言し 思い通りに事が運べる。... 自分もその力を得たい、本当はそうなりたい そうありたいと・・・








親切丁寧にすることは、良いことであり、そうすべき 



というような道徳論が、
世の中にあるのは、社会がそのような人が多い方が協調され
うまく回るから、そう設定されているだけとも言えます。








でも人に対して常に優しさ第一で親切丁寧にしていると







実は力強くあることが出来ないという矛盾があるのです。








今の世の中は、強いと目立ち叩かれるので






みんな 大人しくしています。






世の人は強さ(リーダー)を追い求めているのに、




真実は強い人が少ない(目立たない)のです。


なりをひそめざるを得ない


優しさを大切にする現代社会においては特に・・・



だからこそ、




時に残酷と言えるような思い切った強さ(厳しさ)を示すことが



必要 ということなんです。





ただ某信仰宗教の首謀者のような強烈なカリスマ性を示し、その人が本当に望むこととは全く別のあらぬ方向に人を惑わすのは、いささか考えものですが、




どんな人にも尊敬されて慕われ歴史に名を刻むような人は、





単に優しいだけではなく揺るぎない強さを兼ね備えています。




自分の周りに、そんなリーダーが少ないのなら、誰かが名乗りをあげる必要があるとも言えます。





もしも、自分に強さを示す必要性が求められたら、時に大胆に怖がらず恐れずに自らリーダーシップを発揮することをオススメします。





なぜならそれが結果的に その人にとって真の意味で優しいから




本当に優しくなりたいのであれば




許可しても良いのでは?





そしてそれは、あなたがリーダーになるタイミングが訪れているからです。





本当の意味での 優しさが必要なのです。






明日から 新しい年です。






優しさという力強さを発揮し、希望ある良い年、素敵な時代に





自分でしていきましょう。



今年も一年 本当にありがとうございました!! 
LOVE & GRATITUDE
根津

2018年12月3日月曜日

人間が出来ていなくても 強い人を人は求めるパート2


前回は、人間が出来ていなくても
強い人に人は惹かれる。それは守ってもらわないと生きられない
赤ちゃん時代の本能 というお話をしました。






強い大人(親)に守られないと生きていけない幼少期から
時が経てば、誰でもオートマティックに成長をとげます。



 

あなたもご存知の通り?あっという間に時は過ぎていきますよね?
死なずに生きていれば勝手に時間は過ぎて、肉体的には立派な大人です。




大人なんだから、自立し
誰を頼らなくても、生きていけるのにも関わらず




人は強さを敬愛し憧れを抱き 追い求め続けます。



幼い頃にインプットされている。



”強いものを追いかける” 


というプログラムを消去したつもりでも





実は消し去っていなく





単に上から上書きしているだけなので






表面上は消え、何も無いように見えても






心の奥底に残っているプログラムが無意識に発動してしまうわけです。




なので、周りに配慮ができて、気使いも完璧な





一般的にいう 「人間が出来た良い人」 





であっても





わかりやすい強さのない人は、そーゆー意味で、それほど人を惹きつける力がないのです。

(つまり目立たないのです。スポットライトが当たらないのです。)



「 いや~私は、そんなに目立ちたがりではないから・・・」





・・・ウンウン






そんな控えめで、遠慮しがちなあなた 








あなたは、本当にそれで良いのでしょうか?





人気がある人の中には 人間が出来て立派で性格が良い人ではなく、
人間が出来ていないような、ある意味、人間失格な人で性格が悪い人
もかなりたくさんいます。 







そしてその人たちが注目されスポットライトを浴び、称賛されているのです。







一方そのような人達よりも、人として人間が出来ていたとしても、






強さを示せない大概の人は、ほとんど気づかれずにいます。





一見、性格が悪く、はたまた人間が出来ていないからと言っても強さをもっている。その人にピッタリついていき離れずフォロワーになる人は、意外なほどいるのです。   




強さを示せない人には、見向きもせずに・・・・







・・・どうでしょう




あなたはそれで良いのですか?





あなた 「・・・・・」






本当に良いのですか?





あなた 「・・・・・」







あなたが「はい!」と、リラックスした感覚で力が抜けてスッキリ言えるのならば良いです。






「良く無い!!」って力強く思っている人


もしくは


「何かどこか引っかかる。。」と感じる人


「別にいけど!」 と 言いつつも、身体のどこかに力がかかってリキんでいるとしたら





それは、良く無いんでしょうね。。






ひょっとして あなたは

そんな(人間が出来ていないくせに)強さを示す人を、どこかで軽蔑し否定し批判批難したい気持ちはありませんか?





あの人、性格が悪いのに何を威張っているの!

あいつは人間ができていないのに、なんて偉そーなんだ!

◯◯なのに ▽▽じゃねーか なんなんだ!!

..etc.....






・・・・・





そんなあなたに対して

私は否定する気も
批判する気も
見下す気も
バカにする気も
無視したりする気も
蔑んだりする気も



微塵もありません。






ただ







ただね









あなたは本当は何がしたいの?




? つづく..