「自分がコロナに感染した場合に家族や友人、お客様に感染させてしまう事は非常に恐れています。特に両親は70を超えてます。」
SNSのポストに対して先代から事業を引きつぎサービス提供を職業として業務を行う方からこのような声をいただきました。
これに対して私なりに投稿したいと思います。
細かい前提は存じあげないので、あくまで私の勘違いも多大にあるかもしれないし、適切な回答になっているかどうかはまったくわからないですが
良ければご一読ください(長文です)
まず自分の提供する業務・サービスに誇りを持っていますか?
とお尋ねします。
あらためて自分の提供する仕事がどれだけの人に役に立って喜ばせているか良く良く考えてみてください。
すくなくとも代金を払ってくれる人がいてそれで生活しているということは、値打ちがある証拠です。
私は自分の命という時間を削って積み上げ磨いて提供している業務・サービスに誇りを持って仕事をしてます。
そしてそれは仕事だけではなくて自分に対してもです。自分の存在がどれだけの人に役に立ち喜ばせているのか考えましょう。
目を閉じて、喜んでくれている人の顔を1人1人まぶたに浮かべて、実際に目の前にいるように、じっくりと感じ味わって下さい。
…。
マインド ハートが満たされてフル(満タン)になりましたか?
フルになってませんか?
まだならば、もう一度じっくり満たされているまでおこなってください。
フルになったのなら
話のつづきを聞いてください。
私は世の中に自分の価値を届けるために職業・仕事を邁進する結果、不幸にも感染症を撒き散らすことになってしまい、想定外のどんなことが起こることも覚悟しています。(どんなに感染症対策をしたってなる時はなるんです。なったのならそれがサダメ運命ということです。)
その前提を心に留めます。
私の提供する仕事は、私のこれまでの人生をかけて磨いてきた命の結晶なので、単なる金銭のやりとりだけではなく命の結晶と交換してもらうものだと考えています。
なので不運にも仕事を提供することで死ぬ人が出たとしても、命の結晶ではなく、実際に命そのものになることも時にはあるんだなぁと自然体で真っ正面から受けとめます。
その結果、批判や馬頭する人が実際に現れたとします。
そして、あなたのファンと称した人がその一面だけ見て、解釈を翻し離れる人が続出したとします。
恐怖ですか?
私は平気です。
なぜなら絶対に私の商売が潰れ行き届かなくなっては困るという人が必ずいると考えます。そのつもりで仕事に向き合ってきました。
去った人がいるのなら、もっと良い人に私の命の結晶を渡す空きが生まれます。
でも、それは単なる私の勘違いの独りよがりで、そんな人が誰もいないかもしれませんね、良いです。一向に構いません。
価値がうまく認識してもらえないことだってあるし、気づくタイミングがうまくマッチしなければそんなことも当然あるでしょう。
ではこの瞬間に味方は誰もいないですか?
味方は0じゃあないですね。
最低1人はいます。
自分がいます。自分は自分を裏切らない味方です。
私は自分を信じています。(全世界の人が敵になったとしても、家族も身内も愛想つかして離れて行ったとしてもひとりぼっちでも自分は自分の味方です。)
もしも味方が誰もいないと考えるのなら自分が自分の味方をしていないので、自分が自分を苦しめる1番の敵になっているのではないでしょうか?
そしてそれは自分を諦めている証拠だと思います。
本当に困ったら、恥をかくことを恐れずに主体性をもったうえで堂々と世の中に広く援助支援を求めます。
もしそれでもダメだったとしても平気です。
どんなことも受けいれると覚悟します。
それで仮に商売が終わっても、私自身が終わったわけではないです。
それはそれで綺麗サッパリ裸一環で再スタートをきって生きていきます。
世の中、なんの負い目なく不幸な仕打ちを突如として受ける。そんな人たちはコロナに限らず沢山いますよね(交通事故、震災や原発事故、自然災害 拉致被害 猟奇的殺人事件etc…。)
だから、たまたま今度は自分にその番が来たんだなぁと受け止めます。
そしてそれは選ばれているんだと思います。何故ならそれを耐えられる人、努められる資格のある人のもとにしかその役が配られないからです。だからとても名誉なことです。
今の日本は幸いなことに生活保護を受けるなりすれば、飢えや渇きで餓死して死ぬことはないです。ものすごくラッキーな時代と場所に生まれたものです。死ぬこと以外はかすり傷です。(でもホントは死ぬことすらもかすり傷ですけど、まあこれはまた別に機会に詳しく..。)
また高齢の両親に対してですが、
まだまだ長くなるので続きます。
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